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この刺身を作ったのは誰だ                        三月七日

最後に若者の口がパクパクしていますが 言葉にならない言葉を発していたので しょう。 実際に怒られている時は いい気分ではありませんが 本気で言ってくれる人は  有り難いものです。


鍵が無い                                   二月三日 d100303 二週間くらい前 ラーメン屋さんで昼食を食べていたところ 幼稚園児くらいの子と その母親が入ってきました。 母親は 僕の隣の席に着くなり 小さな声で「子供の自転車を店内にいれていいで すか?」と店員に聞きました。 店員は 少し困った表情で「申し訳ありません」と応え 母親は「わかりました」と軽 く頭を下げた後 子供に向かって「食べながら自転車を見ていようね」と言いました。 子供は大きくうなずき メニューと外の小さな自分の自転車を見比べていました。 どうやらその自転車には 鍵がついていないか 鍵を忘れたようでした。 それは しっかり乗り込んで 汚れと傷が染み込んだ 大きな黄色いかごの付いた  普通の小さな自転車でした。 一台の小さな自転車を大切にする様を見て ものを作る仕事に就いている 使命 やら 醍醐味やら 責任やらを感じつつ 胡椒のたくさんかかったラーメンをすす りました。 今日のお昼 久々に そのラーメン屋さんに訪れました。 店の前に自転車を置いて 鍵をかけようとしたところ 家に鍵を忘れてきてしまった ことに 気づきました。 店内に入り 自転車が見える席に座ると その席は 二週間前に 親子が座ってい た席だということを思い出しました。 ご飯を食べたいという欲求と 自転車は無事なのかという心配の板挟みの中 あの 親子と同じように 時折 自転車を見ながら 胡椒をたくさんかけた ラーメンをす すりました。 多分 あの時の子供も 同じ気持ちで 外の大事な自転車を見ていたのだろうと思 いました。 僕の自転車は 新聞配達で使うような大きくてしっかりした かなり古い自転車です。 中古買ったときは 乗れる状態ではなかったので 自転車屋に修理へ出し 乗れる ようにしてもらって 愛用しています。 このように 愛着を持ってもらえるような ものを作る人は幸せ者だなと思いながら  その自転車と一緒に家へと帰りました。


ぼんやりと                                 二月二十七日 d100227 高校三年の進路を決める大事な時期 悩んだあげく美容師の学校を受験しました。 しかし 試験には受かる事ができずに 他に受けたいところも無かった為 担任に は夜間の大学を受けるように薦められていました。 再三の推奨を断り続けて 最後に「お前趣味は無いのか?」と聞かれ その時初め て服飾という道が開きました。 某服飾専門学校に入ったものの 学校のやり方に不満があったので あまり登校せ ずに家にこもって服を作っていました。 暫くして学校を辞め バイトをしながら 売れない服を作り続ける生活を長く続けて いました。 そんな 家にこもって洋服を作る生活は 今日も同じように続いています。 ただ 変わったことが一つあります。 有り難いことに僕の洋服を買ってくれる人たちがいるので バイトをしなくても生活 できているということです。 会社勤めをしたことがありませんので いつも実践で様々なことを 勉強するしか ありませんでした。 縫製 デザイン パターンメイキング 素材 ビジネス は勿論のこと。 自分のこと 他人のこと 生きること 死ぬこと。 そんなことまでも 今までに多くの人々が 様々な形で教えてくれました。 これからも勉強しなくてはならないことは 十年前よりも多くなっているように思い ますが 今の自分には何ができて 何ができないのか 昔より明確なってきたの で 勉強したい種類や順序も筋道が立てられるようになりました。 勉強をしながら生活費をもらって 飢えること無く生きているのです。 大した能力も思想も人徳も持たない自分が まだ好きなことをして生きていられる のは 有り難いと思います。 服の作り手として 社会の恩恵を受ける者として 生まれてきた一人の人間として  『ohtaを通し 成し遂げればならないこと』が まだぼんやりとですが 見えてきた ような気がします。


『九月一日』                              二月二十三日 d100223 あと一ヶ月で展示会です。 僕の収入は ohtaをの服を売る以外では入ってきませんので 毎回の展示会は 半年分の生活がかかっています。 展示会の一ヶ月前ともなりますと 楽しみと不安 睡眠不足と興奮が 入り乱れ  混沌とした 心持ちになります。 展示会が終わり 半年が経つとまた 新作の発表の時期がやってきます。 体が健康であるならば その次も そのまた次も 続いていくのでしょう。 展示会の前は 製作や準備に追われ 時間に追われ 生活をしています。 これは 夏休みも終わる頃 九月一日が迫ってくる感覚に 少し似ています。 小学校の頃 一日の時間の長さが 今よりも ずっと長く感じたように 思います。 七月の終わり 始まったばかりの夏休みは一ヶ月以上。 永遠と休みが続くような心持ちで 毎日毎日 何にもとらわれること無く 遊ぶこと ができました。 八月二十日辺り 蝉の鳴き声の中 心残りだった夏休みの宿題に 必死に取り組 みはじめた。 三十一日 夏の終わりの夜 宿題を終えたことに安堵し 時の早さを噛み締め 眠 りにつきました。 九月一日 真っ黒に日焼けした友人と 夏休みの宿題と夏の思い出を 交換する 教室は 随分懐かしく感じました。 僕の仕事も どこかこれに似ているような気がします。 展示会まで時間の在る限り 必死に服を作り 気がつくと 二、三ヶ月は 一瞬で 過ぎ行き 季節も変わり初めています。 展示会という教室で 多くの人に 服を見てもらい 様々なことを教わり 色々な話 をします。 僕にとって 新しい作品は 九月一日に提出した夏休みの感想文みたいなものな のでしょう。 それならば たくさんの人が楽しくなる感想文を 楽しく書けるようになりたいので す。 今の製作は 八月二十四日辺りで 宿題をしている感じでしょうか。 まだまだ暑さの残る夏の終わり 宿題の山が 立ちふさがります。


図書館                                    二月十九日 d100219 先日の寒い夜 ある駅前で待ち合わせをしていますと 指先と耳がだんだんと冷 たくなってきましたので 駅の向かいにある 明かりを目指して歩き始めました。 明かりはスーパーのものでしたが 隣には小さな図書館があったので 入ることに しました。 夜の七時ぐらいだったのですが 図書館にはぱらぱらと人がいて 暖房がきいて おり とても静かでした。 僕は小さな椅子に座り 冷えた手をこすり合わせながら 辺りを見渡しました。 子連れのお母さん 白髪のおばあさん 大学生 皆 静かにもくもくと真剣に 本 を読んでいました。 僕は 昔から 図書館に行くのが好きだったのですが 本を読む訳でもなく 訪れ ることがありました。 たくさんの人が 読み切る事のできない多くの本の中から 一冊の本を探し出し静 かに読む。 心を強く動かされた 一つの本から得た知識は 時間を経て その人生をも左右 する知恵となる。 人生の分岐点となる本に出会う為 多くの知らない人が佇む 図書館という場所は 静かな希望に溢れている。 本をめくる音を聞きながら 黙って座っていますと 辺りに漂う生きる意思に 自身 の生を気づかされます。 静かな希望の空間で 止まってはいない自分の鼓動に安心し やがて瞼を瞑って 寝てしますのです。


星空のBelieve                             二月十五日

昔見た『機動戦士 Zガンダム』というアニメのエンディングの曲です。 この曲の歌詞を味わいながら 最終回を思い出すと なんとも言い難い 哀しく胸 が詰まる思いがします。 ここ数日間 この曲を聴きながら 新しい服を作っています。 いい曲なので 御楽しみください。 太田


出会い                                    二月十一日 d100211 先日からインターンの募集を行ったところ たくさんのご応募をいただきました。 連絡を頂いたみなさん 本当にありがとうございました。 今期は美術大学に通う 若い二名に手伝ってもらうことになりました。 インターン生も僕も まだまだ模索の日々ですが 次回の秋冬のコレクションを  少しでも想いの通う 暖かいものになるように 僕らは各々の個性を掛け合わせて 頑張っていきたいと思います。 僕は人として まだまだ未熟な為 うまくチームの先導をとれるか あまり自信はあ りませんが 人との繋がりへの感謝を忘れずに 焦らずに駆けていきたいと思いま す。 3月の終わりの新作発表では 関係者の方々だけではなく一般の方でも 実際に 世界観と洋服に触れられるような 催しも考えています。 詳細が決まりましたら このサイトでお知らせします。


美しい礼節                                  二月七日  d100207 ある打ち合わせの帰り 運が良く電車の席に座る事ができたので 疲労と共に電車 に揺られていたのです。 やや混み合う車内の 人々の隙間から見える向こう側の窓には 知らない街の明か りが続いていました。 暫くして 次の停車駅に到着したところ 酔っぱらった二人のおじいさんが肩を組 んで入ってきました。 二人とも八十歳以上なのではと思われる背格好で 一人は杖をつきながらもしっか り立っていたので 元気だなぁと思いつつ 席を譲りました。 僕は 譲った席の斜め前に立ち 続いて その席の隣に座る大学生らしい 青年も  やや照れくさそうに 席を譲りました。 一人のおじいさんが 被っていたよれよれの黒い革のハンチングを脱ぎぺこりとお じぎをして『ありがとうね』と言いました。 年齢を感じさせない軽やかな動きは茶目っ気があり 微笑ましく思いながら 僕も  お辞儀をしました。 おじいさんは 『わしらは九十歳で酒飲んどるんだっ』と言い もうひとりの綺麗な白 髪のおじいさんは『マージャンを打ってきたんだ』と楽しそうで その本当に楽しそう な雰囲気につられて 自然と僕も笑っていました。 それから 二人は今日のマージャンについて話し やがて日本国についての話をし 僕は 斜め向かいで つり革を握りながら 聞き耳を立てていました。 会話が 戦争の話になった時 ハンチングのおじいさんが 再び僕の顔を見て 少 しだけ 重い声色で言いました。 『今の日本は戦争が無いからいいな。平和ボケしちゃいかんぞ』 僕は 小さい声で 『はい』 としか言えませんでした。 僕の祖父母から聞かされていた戦争の話を思い出し あれこれ考えてるうちに自宅 のある駅へ到着しました。 電車を降りる際 おじいさんの大きな声の『ありがとうね』を耳にしながら 僕は駅を 降りました。 外から 小さくお辞儀をして 冷たい空気のホームを歩きました。 よれよれの黒いハンチング帽と綺麗な白髪は だんだんと小さくなっていきました。 戦争を実体験したことはありませんし ハンチングのおじいさんが言う『平和』の中で しか 存在したことしかありません。 既に知らないうちに 平和ボケしているのかもしれないなと思うと 自分が恥ずかしく 思え 小さい声しか出すことができませんでした。 しかし 孫のような年齢差のある若造に 礼儀正しく 頭を下げ お礼を言える九十 歳が存在していることは 妙にうれしく 同じ日本国の人間として誇りに思うことがで きました。 こちらこそ 美しい礼節をありがとうございました。


御味噌                                    二月三日 d100203 早いもので 引越しをしてから 半月が経ちました。 最近 知り合いの方達から「新しい街は慣れましたか?」としばしば聴かれるのです が 非常に返答に困るのです。 僕の生活は 名古屋でもそうでしたが 展示会前後以外は ほとんど家の中での仕 事なので お昼ご飯と 食べ物の買い出し以外は あまり外へ出かけません。 顔を合わせるのは 集荷に来るいつもの運送会社の人や スーパーのレジのおばさ んぐらいなのです。 感覚としては 僕がここに引っ越してきたのではなく 部屋と街が名古屋とすり替わっ たのではないかと 思うほど ほとんど心の環境には変化がありません。 近所を散策してみても 子供と年配の方が多く 同年代の人間が あまりいないよう に思います。 お昼時 自転車でふらふらと出かけるたび 昔から住んでいた街のような気がして ならないほど 平穏な街で 自分がとけ込むのには最適な街だなと思います。 自転車をこぎながら『この街にキャッチコピーを付けるとしたら?』と考えました。 家の近くには 大きな多摩川が流れており 土地が開けていまして 何より好ましい ことに 越して以来 気持ちのよい風が吹く 晴天が続いていました。 そこで 僕がつけた名前は『何時も日曜日の街』という名前です。 最近ひとつだけ 東京という遠くの街へ来てしまったのだ という事実を実感したこ とありました。 新しく行きつけとなったスーパーへ行ったところ 外観の大きさに見合うだけの多種 多様な食品が並んでいるのです。食べた事のない野菜 見た事のない果物 知らな いメーカーのお菓子などなどもです。 しかし 味噌を買いに来た僕は愕然としました。驚くべきことに赤味噌のコーナーは 味噌コーナー全体の2.3%の面積しか無いのです。 名古屋で二十数年 赤味噌を食してきた僕は 寂しい気持ちをなだめて 一つの赤 味噌を購入しました。 日は傾き 帰り路の家々には 明かりが灯され始めていました。 新しい街の食卓では 今夜もお椀に 白い味噌汁が 注がれるのでしょうか。 小さな頃 遊び疲れた日曜の帰り道で 近所の家からご飯の匂いが漂ってきたら  帰り路を急いだものです。 この街でも ご飯の匂いに誘われて 家路を急ぐ子供がいるのでしょうか。 新しい街の赤味噌の需要の少なさに 少し疎外感を感じながらも 夕暮れに赤く染まった川沿いの家路に お気に入りの自転車を転がしました。